40代~のおやじがドラマを語ります!おやドラ OYADORA

40を超えたドラマ好きおやじが勝手に色々語ります。

おやじがおやの面倒を見るドラマ。 いつか訪れるんだろうとは思っていたけど

time 2016/04/06

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親の面倒はみないといけないのか?

親のいない人は居ないはず。だってあなたが存在しているのだから。そんなの当たり前な話だけど、

40代を過ぎておやじと言われるまでは親の面倒をみるなんて当たり前すぎて、そんなことすら思わなかったし考えることさえ無かった。

でも実際に面倒をみるようになりだした時に改めて自分が本当に見るとなると刑務所にでも入るかのような拘束された束縛感を感じる部分がある。 良心では当然見ようとするのだが内心では普段の生活も大変なのに更なる追い打ちをかけるような状態にはならないだろうかと。

これが親の面倒をみるということなのだろう。 核家族、両親共働きなど社会進出を促進させる日本経済の中で生きていくのには本当に金がかかる。 ましてや現在のように貧富の差が激しくなりどん底の生活は闇まで落ちていきかねない日本。 真逆の富が無限に手に入る可能せもはらんでいるがそんなのは当然ごく一部。

銀行は企業融資を優良先企業にのみ融資し社会の構造が日々変わっている中に政府主導の行政機関は強制徴収の動きを強めているので、個人を対象に絞り直し保証会社に昔のサラ金など調査や徴収の得意な業界を吸収しカードローンのカードなどをばらまいているのが現状で最新の車にのっていても自動車ローン・豪華な住宅に住んでいても住宅ローン・素敵な服を着ていてもクレジットカードと眼に見えないローンを増やし続けているのが実情だ。

そんな中、介護と言う言葉が生まれながら、実際は所得のない人には適用されないでいるのが現状で、日本経済を盛り上げてきた中小零細企業の社長さんや個人事業主や農家で頑張ってきた人たちほど、年金受給額もとても生活が出来ないような所得となっている。そんな中に毎年所得額は減少しているのに学費や塾費は上がっているから尚更悩ましいのが現状だ。

親の面倒をみるのは当然だと言いたいが出来ないなら出来ないと言うしか無いのではないか。 そんな事を考えると痴呆症状が出る前に話をするのも大事だと思う。

親の存在の意味は?

親の存在意義は個々の価値観があると思うし生い立ちによって捉え方も変わるだろう。ここでは自分を中心として親をどのような立ち位置で理解をすることが良いかの参考になれば幸いだ。

親という字は「立」「木」「見」と書く。 ここで一本の大きな木を思い浮かべて欲しいのだが、親という存在は自分の事を上から見下ろしている時があったり木陰にして日差しの強い日光から守ってくれたり雨風を凌いでくれる時があったり黙っていながらも会話の相手をしてくれたり、大夫の時なんかはしっかりと地に足を踏ん張り倒されない姿を見せてくれる。

そんな存在が親であり動くことはないのに大きな存在。そんな大きな一本に木に寄って行くのも自分だし離れていくのも自分。しかしそんな自分もいつかは大きな一本の木になる時が来る。 そこで昔みた一本の大きな木に起きたドラマを思い出すことが出来るかどうかじゃないだろうかと思う。 つまりお手本のようなものではないだろうかと考える。

親に抱く感情

人の成長や人生には幼少期の思い出つまり記憶が大きな影響を及ぼしていると聞いたことがある。 特に一番の関わりのある親の存在。生まれ落ちてから始まった人生というドラマの中で終焉に向かい始めた時自分の終焉をイメージし始めないといけないのかもしれない。迷っている暇はないです。生きている事1分1秒が自分の終焉への準備となるのだから。後悔ではなくゴールへ突き抜けるための準備とでも言おうか。好きとか嫌いとかの感情は無く学ばせてくれてありがとうという感情を言葉にするなら感謝になるのだろうか。

まとめ

NHKで以前「ふたりぼっち」と言うドラマがあった。これなんかも参考になるかもしれない。

【出演者】
石橋徹郎 江守徹
藤貴子 渡辺樹里 山﨑千惠子 ミズモトカナコ
【作】塩田千種
【音楽】小六禮次郎
【スタッフ】
演出:小見山佳典
技術:浜川健治
音響効果:石川恭男
【あらすじ】
親の介護はもはや特別なことではない。父と息子の〝ふたりぼっち”の介護が始まった。認知症になった父の面倒を看ることになるとは夢にも思っていなかった。息子は、どうやってその現実と対峙していくのか。彼には、どうしても乗り越えられない父との確執があったのだ。彼(石橋徹郎)は小さな企画会社を経営する45歳、未だ独身。18年前、母が病気で亡くなり、家を出た。74歳の父(江守徹)は地震計を製造する会社を起業したが、倒産させてしまい、今は郊外で悠々自適の暮らしをしている。父は母親が危篤の時に家にいなかった。信州に行っていたと言うのだが、おそらく、女のところに行っていたのだ。散々、母親に苦労をかけておきながら、その最後を看取ることもしなかった父を息子は決して赦すことができないでいた。親子の愛情とはなにか? 葛藤する息子の心情を描く

出典:http://www.nhk.or.jp/audio/html_fm/fm2016005.html

そういえば、俳優の風間トオルさんが「俺を産んでくれたので最後まで面倒をみたい」と自分を捨てた父親の生活を支援しているようです。
親には捨てられ幼少期の頃から祖父母に育てられ親には何もしてもらっていなくても、おやじになった今、おやをみようと決心したんですね。

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